中华共同体与人类命运共同体
中華共同体と人類運命共同体
潘 岳
潘 岳
2018年12月
2018年12月
中国共产党不仅为人民谋幸福、为民族谋复兴,也为世界谋大同。习近平总书记首倡“构建人类命运共同体”,呼吁“建设持久和平、普遍安全、共同繁荣、开放包容、清洁美丽的世界。”这是新时代中国共产党人立足中华共同体传统,针对国际社会的共同问题提出的中国方案。中华共同体既是政治共同体,也是民族共同体,更是文化共同体,具有丰富的理论内涵与实践特征。这将为广大非西方国家选择合乎自身传统的发展道路,为促进世界多元文明的交流互鉴,为淬炼构建人类命运共同体的“共同价值”而提供中国经验。
中国共産党は国民の幸福、民族の復興を図るだけでなく、世界の大同も求めている。習近平総書記は「人類運命共同体の構築」を最初に提唱し、「恒久平和、普遍的安全、共同繁栄、開放と包容、清潔で美しい世界の構築」を訴えた。これは新時代の中国共産主義者が中華共同体の伝統を踏まえ、国際社会の共通問題に対して打ち出した中国の提案である。中華共同体は政治的共同体であるだけでなく、民族的共同体でもあり、豊かな理論的内包と実践的特徴を備えた文化的共同体でもある。これは非西洋諸国の自国の伝統に合った発展の道の選択、世界の多元的な文明の交流と相互学習の促進、人類運命共同体の構築のための「共同価値」を高めるために中国の経験を提供することになる。
中华文明“政治共同体”的独特政制之道
习总书记指出,“世界上没有完全相同的政治制度模式,政治制度不能脱离特定社会政治条件和历史文化传统来抽象评判,不能定于一尊,不能生搬硬套外国政治制度模式。”中西方政治道路的不同,不是发展阶段的区别,而是文明基因的差异;中华文明“政治共同体”不是西方理论模式的“复制”,而是马克思主义与中华文明深度融合的产物。
中華文明「政治共同体」の独特な政治制度の道
習総書記は「世界には全く同じ政治制度のモデルはない。政治制度は特定の社会政治条件や歴史的・文化的伝統から脱して抽象的に評価することはできない。一つだけに定めることはできず、外国の政治制度のモデルをそのまま適用することもできない」と指摘した。中国と西洋の政治の道の違いは、文明の遺伝子の違いによるもので、発展段階の違いによるものではない。中華文明の「政治共同体」は西洋の理論モデルの「複製」ではなく、マルクス主義と中華文明の深い統合の産物である。
首先,中华文明“政治共同体”根植于中华悠久传统。中华文明是世界上唯一以国家形态发展至今从不断流的文明形态,即使遭遇重大挫折也没有分崩离析,根子在于政治共同体。它通过建立集中的政制结构,确保了中华民族共同体和文化共同体的完整;通过确立稳定的政治中心,保障了行政体系的执政效率和施政效果;通过强化民本思想,塑造“天下兴亡、匹夫有责”的政治伦理,形成了强大的“协商共治”传统;通过完善科举制度,选贤任能,促进阶层流动,确保了政权体系的开放性和先进性:通过大一统政治共同体的制度实践,塑造了国土不可分、国家不可乱、民族不可散、文明不可断的政治底线。即便在历史上中华民族最弱的时刻,“大一统”仍是中国人恪守的基本共识,亦是中国总能够从分裂中走向统一的历史逻辑。
まず、中華文明「政治共同体」は中華の悠久な伝統に根ざしている。中華文明は国家の形態での発展を今までに中断したことのない世界で唯一の文明形態であり、大きな挫折に見舞われても崩壊しなかったのだが、その根源は政治共同体にある。それは集中的な政治制度構造を確立することにより、中華民族共同体と文化共同体の完全性を確保し、安定した政治センターを確立することにより、行政体系の執行効率と施策の効果を保障し、民衆本位の思想の強化により、「天下の興亡,匹夫も責あり」の政治倫理を作り上げて、強大な「協議と共同統治」の伝統を形成し、科挙制度の完備により、有能な人材を選んで任用し、階層の流動を促進して、政権体系の開放と進歩を確保し、「大一統」の政治共同体の制度の実践により、国土を分割してはならず、国家を乱してはならず、民族を分散させてはならず、文明を途絶えさせてはならないという政治的ボトムラインを作り上げた。歴史において、中華民族が最も弱い時でさえ、「大一統」は依然として中国人が固守してきた基本的な共通認識であり、中国が常に分裂から統一へと向かうための歴史的論理でもあった。
其次,中华文明“政治共同体”重塑于马克思主义中国化进程。马克思深刻批判资本主义国家为“虚假共同体”,主张建构国家与社会和谐共生、个体与集体共同发展的“真正的共同体”。马克思主义政治共同体强调国家与社会的全面协作,而不是国家与社会的分裂对抗;强调协商民主的有序推进,而不是冲击秩序破坏稳定的激进民粹;强调国家治理的多方参与和社会矛盾的共存转化,而不是以统治阶级与被统治阶级名义出现的对抗和斗争。由此,社会主义中国必须坚持立党为公、执政为民的政治伦理;必须强化人民民主,以人民为中心,全心全意为人民服务;必须重视追求团结、讲求实效的协商民主;必须实行中国共产党领导的多党合作与政治协商制度,促进整个社会的大团结大联合。
次に、中華文明「政治共同体」はマルクス主義の中国化の過程で再構築されている。マルクスは資本主義国家を「偽りの共同体」と強く批判し、国と社会が調和・共生し、個人と集団が共に発展する「真の共同体」の構築を主張した。マルクス主義政治共同体は国と社会の分裂・対立ではなく、国と社会の全面的な協力を強調し、秩序破壊と安定を脅かす急進的ポピュリズムではなく、協議民主制度による秩序ある推進を強調し、統治階級と被統治階級という名義で登場した対立や闘争ではなく、国家ガバナンスへの多方面の参加と社会矛盾の共存・転化を強調してきた。したがって、社会主義の中国は公のための立党、国民のための執政という政治倫理を堅持しなければならず、人民民主主義を強化し、人民を中心とし、誠心誠意人民に奉仕しなければならず、団結を追求し、実効性を追求する協議民主主義を重要視しなければならず、中国共産党が指導する多党協力と政治協商制度を実施し、社会全体の大団結と大統合を推進しなければならない。
第三,中华文明“政治共同体”升华于中华民族复兴征程。自1840年以来,中国人民饱受帝国主义侵略和中国政治分裂的苦难。辛亥革命之后,一味效仿西方的民主试验导致了中国更大的政治分裂与混乱局面。此后,正是中国共产党作为中华民族先锋队,把人民组织起来,扭转了“一盘散沙”的涣散局面,承担了救亡图存的历史使命,重建了政治共同体。新中国成立后,中国共产党在中国历史上第一次真正动员组织起了最广泛的人民群众,成功进行了人类历史上规模最大、涉及范围最广的政治、经济、社会、文化和生态变革。从革命到建设,从改革到复兴,正是因为中国共产党代表了最广大人民群众的根本利益,把人民对美好生活的向往作为自己的奋斗目标,才能够成为统揽各方力量的政治中坚,才能够实现中国从站起来到富起来到强起来,才能够不断巩固壮大超大规模的中华文明“政治共同体”。
第三に、中華文明「政治共同体」は中華民族復興の征途の過程で強化されている。 1840年以降、中国人民は帝国主義の侵略と中国の政治的分裂による苦しみを被った。辛亥革命後、ひたすら西洋をまねする民主の実験は中国に対しより深刻な政治的分裂と混乱した状況をもたらした。その後、中国共産党が中華民族の前衛隊として、人民を組織し、「ばらばらの砂」のような局面を逆転し、救亡図存の歴史的使命を引き受け、政治共同体を再建したのである。新中国の成立後、中国共産党は中国史上初めて最も広範囲にわたる人民大衆を確実に動員し、人類史上最大の規模で、最も広範囲にわたる政治、経済、社会、文化、生態の変革を成功裏に導いた。革命から建設、改革から復興に至るまで、最も広範囲にわたる民衆の基本的な利益を代表し、美しい生活への人民の憧れを自分の奮闘目標としたからこそ、中国共産党は各方面の力を総覧することができ、中国が立ち上がり、豊かに、そして強くなるようにして、超大規模な中華文明「政治共同体」の継続的強化、発展を実現させることができた。
中华文明“民族共同体”的民族和谐之道
习总书记指出,“我国56个民族共同构成了你中有我、我中有你、谁也离不开谁的中华民族命运共同体。”中华文明由中国各民族共创共传共享,形成了悠久的“民族共同体”传统,充分体现了鲜明的民族和谐交往之道。
中国各民族历史上虽然不乏冲突,但最终都在不同阶段铸就了中华民族共同体。在先秦,商族起于东夷,周人起于戎狄,由夷狄而入华夏以主中原。在秦汉,秦人出于西戎而一统六国,完成了从西到东的华夏整合,汉朝设置“都护”经略西域而完成了由南往北的国家统合。在隋唐,经过魏晋南北朝以来的胡汉交融,王朝统治者一改以往“贵中华、贱夷狄”的民族歧视,代之以“爱之如一”的平等态度。在辽宋金时期,契丹大辽国提出“契汉一家”、“境分二国,而义若一家”,女真大金国提出“中州一体”、“皆是国人,不宜有分别”。在元代,创设行省制度,加强中央集权,强化边疆管辖,以宣政院“政教合一”体制将吐藩纳入中国版图。在明代,主张“胡汉一家”“华夷无间”“抚宇如一”,在清代,创制一系列因地制宜因俗而治的民族宗教法规和管理体制,在中央设立理藩院;在蒙古族聚居地区实行盟旗制度;在西藏地区以“金瓶掣签”制度册封达赖和班禅;在新疆地区设立伊犁将军,在东疆、南疆、北疆采取州县制、伯克制、札萨克制,就此奠定中华民族多元一体大格局。
中华民族共同体的发展史清楚表明,每一次民族大融合都促进了国家大一统和中华文明大发展;每一次国家大一统和中华文明大发展都强化了民族共同体意识。其和谐之道在于不同区域的农耕、绿洲、山地、草原文明的交流交融;在于不同民族的政权对于先进文明的主动选择弘扬;在于中华民族多元一体格局始终具有不断完善的制度实践与体制支撑。
中華文明「民族共同体」の民族調和の道
習総書記は「わが国の56の民族は共同で中華民族運命共同体を構成し、君の中に我あり、私の中に君あり、全て欠かせない存在だ」と指摘した。中華文明は中国の各民族によって共同で作られ、伝承され、共有されて、悠久の歴史を持つ「民族共同体」の伝統を形成し、鮮明で民族の調和がとれた往来の道を示した。
歴史上、中国の各民族の間の衝突は少なからずあったが、最終的には様々な段階で中華民族共同体を形成するようになった。先秦時代、商族は東夷で、周人は戎狄で始まり、夷狄から華夏に入って中原の主権を握ることになった。秦・漢時代、秦人は西戎から始まり、六国を統一し、西から東への華夏の整合を完成させた。漢は「都護」を設置し、西域を管理することにより南から北への国家統合を完成させた。隋唐時代、魏晋南北朝以降の胡漢融合を経て、王朝の統治者は以前の「中華を貴にし、夷狄を卑す」という民族的な差別を改め、「同じように愛する」という平等な態度に置き換えた。遼・宋・金の時代、契丹の遼は「契漢一家」、「境は二国に分けるが、義は一家の如く」を打ち出し、女真の金は「中州一体」、「皆が国人で、分別があってはいけない」と示した。元は行省制度を確立し、中央集権や国境の管轄を強化し、宣政院の「政教合一」体制で吐蕃を中国の領土に組み込んた。明は「胡漢一家」、「華夷無間」、「撫宇如一(すべてに対して同じように慰めいたわる)」を主張した。清は中央に理藩院を設立し、地域や風習に合わせた一連の民族宗教法規と管理体制を新たに確立し、モンゴル族の居住地では盟旗制度を実施し、チベット地域では「金瓶掣籤」制度によりダライとパンチェン・ラマを冊封し、新疆地域ではイリ将軍を設置し、東疆、南疆、北疆で州県制、伯克制、ジャサク制を採用し、これにより中華民族の多元一体の大構造を築いた。
民族が融合するたびに国の大一統と中華文明の発展が促進され、国の大一統と中華文明の発展が実現するたびに民族共同体意識が強化されたことは、中華民族共同体の発展史がはっきりと示している。地域の農耕、オアシス、山地、草原の文明の交流と融合、様々な民族の政権による自発的な先進文明の選択と発揚、中華民族の多元一体の構造を改善し続ける制度的実践と体制的支援が、その調和の道になった。
中华文明“文化共同体”的包容开放之道
习总书记指出,“中华文明是在中国大地上产生的文明,也是同其他文明不断交融互鉴而形成的文明。”中华文明之所以没有随着盛衰兴亡而断流中止,之所以能够遇强则强与时俱进,始终得益于中华文明是一个“文化共同体”,海纳百川,包容开放。
一方面,中华文明以文化认同塑造文化共同体。判定一个民族是否是中华民族大家庭一员的标志,不是种族,不是血缘,不是地缘,而主要是文化。正所谓“中国而夷狄也,则夷狄之;夷狄而中国也,则中国之”。自秦汉以降,“夷”不断通过接受中华文化而变为“夏”:反过来,“夏”也可以放弃自己原来的文化传统而变为“夷”。历史上多个少数民族政权在军事上打败了中原王朝,却在文化上主动遵奉中华文化。这些少数民族往往并非出于被统治地位而被迫接受中华文明,而是在处于统治者强势地位时主动选择中华文明。无论是作为“多元”的源头,还是作为“一体”的支撑,大多数少数民族在制度文明、语言文字、天文历法、文学艺术等方面都为中华文明的发展壮大做出了积极贡献。他们不仅是中华文明的接受者,更是中华文明的创造者。
另一方面,中华文明兼收并蓄会通外来文明。历史上,先有印度佛教的传入,后有西方基督教、伊斯兰教传入,中华文明均对其接纳吸收,形成了儒释道三教合一的中华文化主干,变外来宗教为中国化宗教。所以有了陆上丝绸之路的节点敦煌,汇集了中国、印度、希腊、伊斯兰四大文明:有了海上丝绸之路的起点泉州,呈现出佛教、道教、伊斯兰教、摩尼教等多种宗教和谐共处的文化奇观。近代以来,面对西方重大冲击和挑战,中国最终选择了马克思主义,开启了马克恩主义与中华文化相结合的历史进程,融多样族群于一体,汇多元文化于一炉,走出了一条中国特色社会主义道路。
正是因为中华文明开放而不封闭,包容而不排他,中庸而不极端,和平而不好战,面对文明的差异,中华文明才主张文明对话,而不是对抗。即使在中华文明被西方文明的强势打压的时候,中国的思想家们都没有放弃这一努力。正如梁启超所说,“拿西洋文明来扩充我的文明,又拿我的文明去补助西洋的文明,叫它化合起来成为一种新文明, 正是我们的责任。”
中華文明「文化共同体」の包容と開放の道
習総書記は「中華文明は中国の大地で生まれた文明であり、他の文明との融合や、相互学習を続けてきたことによって形成された文明でもある。」と指摘した。中華文明は盛衰興亡によって流れが中断されることなく、強いものに出会ったら共に強くなり、時代と共に前進することができたのは、中華文明が終始一貫して「文化共同体」であり続け、どんなものも差別なく受け入れ、包容と開放を行ってきたからである。
一方、中華文明は文化的アイデンティティで文化共同体を築いた。1つの民族が中華民族の大家族の一員であるかどうかを判断する基準は人種、血縁、地縁ではなく、主には文化である。まさに「夷狄と言うが中国の文化であれば、それは中国である。中の国とはいえ、夷狄の文化であればそれは夷狄である。」と言える。秦・漢以降、「夷」は継続的に中華文化を受け入れることによって「夏」になった。逆に、「夏」も元の文化伝統を放棄して「夷」になることができた。歴史上、多くの少数民族の政権は軍事的に中原王朝を打ち負かしたが、文化的には自発的に中華文化を遵奉した。これらの少数民族は被支配者の立場から中華文明を受け入れることを余儀なくされたのではなく、支配者という強い立場にある時に、自発的に中華文明を選択したのである。「多元性」の源としても、「一体性」の支えとしても、ほとんどの少数民族は、制度・文明、言語・文字、天文学・暦法、文学・芸術などの面で中華文明の発展と成長のため積極的に貢献した。彼らは中華文明の受容者であるだけでなく、中華文明の創造者でもある。
もう一方では、中国文明が外国文明を包容し、受け入れた。歴史上、先にインドの仏教が導入され、後に西洋のキリスト教、イスラム教が導入され、中国文明はそれらを受け入れ吸収し、儒教・仏教・道教の三つの宗教が一つにまとまった中華文化の主幹を形作り、外来宗教を中国的な宗教に変えた。そのため陸上のシルクロードには中国、インド、ギリシャ、イスラムの四大文明を集めた敦煌という結節点が生まれ、海のシルクロードの起点である泉州に仏教、道教、イスラム教、マニ教などの多種の宗教が調和して共存する文化的奇観が現れた。近代において、西洋からの大きな衝撃と試練に直面して、中国は最終的にマルクス主義を選び、マルクス主義と中華文化の結合という歴史的プロセスを開始し、多様な民族グループを統合し、多元文化を統合し、中国の特徴のある社会主義の道を形作った。
中華文明は開放的で閉鎖的ではなく、包容的で排他的ではなく、中庸で極端的ではなく、平和的で好戦的ではなかったからこそ、文明の相違に直面した時に、対抗的ではない文明の対話を主張することができた。中華文明が西洋文明に激しく抑圧された時でも、中国の思想家達はこのような努力を放棄しなかった。梁啓超が述べたように、「西洋文明をもって我が文明を拡充し、また我が文明をもって西洋文明を補完し、それらを融合させ新しい文明に作り上げるのが私たちの責任である」と言える。
中华文明“命运共同体”的和平发展之道
习总书记指出,我们要“树立世界眼光,更好地把国内发展与对外开放统一起来,把中国发展与世界发展联系起来,把中国人民利益同各国人民共同利益结合起来”。这里的“统一起来”“联系起来”和“结合起来”,充分体现出构建人类命运共同体的精义。中国人最爱讲同呼吸共命运,中华文明最推崇“协和万邦、四海一家”,这为全人类建立祸福相依、安危与共的“命运”纽带,构建命运共同体提供了丰富的历史经验。
第一,中华文明追求天下大同,从无海外殖民。中国自古讲道义、重怀柔,崇尚“远人不服则修文德以来之”,反对穷兵黩武与扩张征服,从根子上就不同于西方含有殖民主义的“帝国”概念。历史上,中国与周边国家建立的是礼尚往来的朝贡体系而非掠夺性的殖民体系。明代传教士利玛窦对此感慨,“虽然他们有装备精良的陆军与海军,很容易征服邻近的国家,但他们的皇上和人民却从未想过要发动侵略战争。我仔细地研究了中国长达四千多年的历史,我不得不承认,我从未见到有这类征服的记载,也没听说过他们扩张国界。”新中国建立以来,中国也更多地是靠自身力量实现发展,而不是靠对外转移矛盾或攫取资源。比如中国的人地矛盾非常突出,用世界上7%的耕地养活了占世界20%的人口,靠得是我们越来越精密化的农业生产和杂交水稻,靠得是数千年可持续发展的生态伦理。全球化时代,中国会积极参与国际分工,进一步挖掘自身资源和市场优势,着力突破制约发展的资源环境瓶颈,致力于通过同各国不断扩大互利合作,有效解决关乎世界经济发展的重大问题。
第二,中华文明崇尚推己及人,从无强迫他人。既然是命运与共,就必然坚持人同此心、心同此理。既然是四海一家,就必然平等相待、和谐相处。中华文明“命运共间体”精神,始终强调“己所不欲、勿施于人”的理念,强调“将心比心”“推己及人”的同理心;反对“以眼还眼,以牙还牙”的狭隘观念,反对“先下手为强、后下手遭殃”的先发制人手段,反对非此即彼、唯我独尊的“排他性”心态。这些历经千百年的宝贵思想,很多已被世界公认为普遍伦理,写进了法国的《人权宣言》,刻在了联合国总部大楼大厅的墙上。
第三,中华文明坚持不往而教,从无文化霸权。作为“命运共同体”,中华文明从不进行强加于人的文化输出,更不推行以自我为中心的文化霸权主义。我们坚持文化多样性,绝不将自己的价值观强加于人,绝不会一厢情愿地输出意识形态。中国两千多年没派出一个儒生去外面传播过四书五经,反倒是全世界很多人来主动研究儒学;没有派出军人、教士、商人四处辐射性地向外征服输出,而是坐在原地,秉持自信,润物细无声地包容吸纳异族异质文化,最终形成民族文化共同体。中华文明共同体传统显然具有处理大规模人口、多文明形态共处共融的历史经验,显然可以弥补西方文明的诸多短板,可以为人类命运共同体的构建提供中国智慧。
一部浩荡的中华文明史没有霸权、没有扩张、没有殖民、没有掠夺、没有弱肉强食的炮舰政策、没有强加于人的不平等条约、没有干涉别国内政引起的文明冲突,没有强制性文化输出,没有西方国强必霸的逻辑。“人类命运共同体” 始终充满着深厚的历史底蕴和文化自信。
中華文明「運命共同体」の平和的発展の道
習総書記は、我々が「グローバルな視点を確立し、国内の発展と対外開放を更にしっかりと統一させ、中国の発展を世界の発展と結び付け、中国人民の利益を各国の人民の共同利益と統合しなければならない」と指摘した。ここでの「統一」「結びつけ」と「統合」は、人類運命共同体の構築における精義が十分に反映されている。中国人は生命や運命を共にすることを好み、中華文明は「協和万邦(万邦を協和せしむ)、四海一家」を最も尊重しているが、これは全人類が禍福を経験する時に互いに頼り、安全を共にする「運命」のきずなを確立し、運命共同体の構築に豊富な歴史的経験を提供してきた。
第一に、中華文明は天下大同を追求し、海外に植民を行ったことは一回もなかった。中国は古くから道義や懐柔政策を重んじ、「遠人不服従則修文徳(遠きが故に人服せずば、則ち文徳を修す)」を尊び、みだりに武力を用いたり、軍事拡張や征服したりすることに反対し、植民地主義を伴う西洋の「帝国」の概念とは根本的に異なっている。歴史上、中国は近隣諸国とは略奪的な植民地制度ではなく、礼は往来を尊ぶという互いに贈り物をする朝貢体系を構築した。これに対し、明代の宣教師の利瑪竇(マテオ・リッチ)は「彼らは装備の整った陸軍と海軍を有しており、近隣諸国を征服するのは簡単であるが、彼らの皇帝と人民は一度も侵略戦争を起こそうとしたことがない。私は中国の4千年余りの歴史を詳しく研究してきたが、このような征服の記録を見たことがないことを認めざるを得ない。彼らが国境を拡張したという話を聞いたこともない」と感慨深げに話した。新中国の建国以降、中国の発展は自分の力によるもので、外国へ矛先を向けて資源をかすめ取ってきたのではない。たとえば、中国での人と土地の矛盾はとても目立っており、わが国が世界の7%の耕作地で世界の20%の人口を養ってこられたのは、徐々に精密化してきた農業生産と交雑水稲のおかげで、数千年にわたる持続可能な発展の生態倫理のおかげである。グローバル化の時代において、中国は国際分業に積極的に関わり、自国の資源と市場の優勢性を更に発掘し、力を注いで発展を制約する資源と環境のボトルネックを突破し、各国との互恵協力を拡大し続けていくことを通じて、世界経済発展に関わる重大な問題の効果的な解決に努めてきた。
第二に、中華文明は人の身になって物事を推し量ることを尊び、他人に無理に強要することはない。運命を共にする以上、人情には変わりがないことを貫かなければならない。四海一家であるからこそ、平等に対応し、和やかにつき合わなければならない。中華文明の「運命共同体」の精神は「己の欲せざる所は、人に施す勿れ」の理念を強調し、「将心比心(相手の立場になって考える)」、「己を推して人に及ぼす(相手の身になって推し量る)という共感を強調し、「目には目を、歯には歯を」という偏狭な観念に反対し、「先に手を打てばいい、後から手を受けて損をする」という先制的な手段に反対し、二つのうちどちらか一つで、唯我独尊の「排他的」心理状態にも反対している。千百年に及ぶこれらの貴重な思想の多くはフランスの「人権宣言」に書き入れられたり、国連本部ビルのロビーの壁に刻まれたりして、すでに普遍的な倫理として世界に認められている。
第三に、中華文明は往きて教ふることがないよう堅持し、文化的な覇権は決して争わなかった。「運命共同体」として、中華文明は他人に対して文化輸出を強行せず、自己中心的な文化覇権主義を普及させることもない。我々は文化の多様性を貫き、自分の価値観を他人に押し付けたり、一方的なイデオロギーの輸出は決してしない。2000年以上もの間、中国は四書五経を伝えるために儒学者を外へ派遣したことがなく、逆に全世界から多くの人が自発的に儒学を研究しに来ており、軍人、宣教師、商人などを各地に派遣し、拡散的に輸出して征服することはなく、元の場所に座り、自信を持って、他民族の文化や異質の文化を静かに吸収し、最終的には民族文化共同体を形作った。中華文明共同体の伝統は大規模な人口、多文明形態の共存と融合の歴史的経験をはっきりと有し、西洋文明の多くの短所を補うことができ、人類運命共同体の構築のために中国の知恵を提供することができる。
広大な中華文明史には覇権がなく、拡張がなく、植民行為がなく、略奪がなく、弱肉強食の砲艦政策がなく、押し付けの不平等条約もなく、他国の内政への干渉による文明の紛争もなく、強制的な文化の輸出もなく、西洋の国が強くなれば必ず占領するという論理もない。「人間運命共同体」は常に強い歴史的確信と文化的自信に満ちている。